ニュース / ブログ

ありがとう!ビブレ!『天神ビブレ』が残した軌跡 第2弾

  • インタビュー・コラム
  • 2020.2.12

●44年の歴史に幕
2020年2月11日に44年の歴史に幕をおろした『天神VIVRE』。天神の真ん中で常に若者カルチャーを発信し続けた、まさに天神の中心地でした。その『天神VIVRE』の軌跡を“ファッション”と“音楽”というキーワードでふり返ります。第1弾ではファッションをテーマに『天神VIVRE』の広告を長く担当されたコピーライターの安恒つかささんにお話を伺いました。そして第2弾は、『天神VIVRE』8階にあった『ビブレホール』が残した軌跡をご紹介しましょう。

 

閉館した『天神VIVRE』からバトンを受け継ぎ、2024年の完成を目指す『天神ビッグバン』。今回も前回に続き、80〜90年代にかけて、若者カルチャーを天神のど真ん中で牽引した『天神VIVRE』の当時を知るキーマンにお話をうかがいました。

 

【音楽編】

●老舗イベントホール『ビブレホール』
『天神ビブレ』の8階にあった『ビブレホール』は福岡からメジャー進出する勢いのあるバンドやミュージシャンを多数輩出してきた老舗イベントホールです。プロアマ問わず、お笑い、アイドルなど様々なイベントを開催してきました。2018年9月からは福岡吉本の常設劇場「よしもと天神ビブレホール」として運営されていました。

2020年2月11日に閉館となった『ビブレホール』の思い出を、80年代にタウン情報誌『シティ情報ふくおか』で音楽担当だった、現フリーライターの清水義孝さんとチケットぴあ九州の中野泰孝さんにうかがいました。

●『ビブレホール』はプロの登竜門だった
「ビブレホールが出来たのが僕が20歳位の時※でした。その年にここでレベッカのライブを見て、翌年に尾崎豊を聞いた記憶がありますね。」と清水さん。

中野さんは「80年代『ビブレホール』はアマチュアバンドにとっては憧れの場所で、プロにとっては人気のほどを試される登竜門でした。ですからここでワンマンライブをすることはステータスだったんです。『レベッカ』も『ミスチル』も『福山雅治』もみんなここを通って全国区のアーティストになっていきましたね。」とお二人の口からはビックネームが出るわ!出るわ!

※1983年開館(「第3回福岡市文化拠点施設専門委員会22.12.3<資料3>」より)

ホールの機材を記した当時の貴重な資料が残っていました。

●福岡音楽シーンの発信地だった『ビブレホール』
自身も音楽が好きで、今でも気になるバンドがあればライブハウスに足を運ぶ清水さん。80年代当時の福岡の音楽シーンをふり返っていただきました。

親不孝通りに1979年にオープンした伝説のライブハウス『80’s FACTORY』。その閉店の翌年『ビブレホール』はオープンしました。『80’s FACTORY』で絶大な人気を誇った『THE MODS』や『めんたいロック』に代表される“福岡のロックバンドブーム”。このムーブメントの次の世代が『ビブレホール』の中心的存在でした。

当時、アマチュアながら多くのファンを動員し、人気絶頂だった『MODERN DOLLZ』『ANGIE』『THE ACCIDENTS』『THE KIDS』などが出演するライブでは、失神者が続出‼度々演奏を中断することもあったそうです。
『ビブレホール』は、全盛期には年間1000組を超えるバンドがステージに立ち、まさに福岡音楽シーンにおける発信地として福岡のみならず九州の音楽好きから愛されたホールでした。

●演奏する方も、聴く方も、真剣勝負!
「『ビブレホール』には“ニューカマー”のアーティストが多く出演していました。そんなイチオシのアーティストを見るため会社帰りのサラリーマンから、制服を着た女子高生まで、純粋に音楽が好きな感度の高い人が集まっていた場所だったと思います。演奏する方も本気だけど聞く方もド真剣で、両方の圧がすごかったですね。」と清水さん。

80年代、この屋上で『天神開放地帯』が開催されていました

●伝説の屋上ロックイベント『天神開放地帯』
『天神VIVRE』と音楽の思い出を振り返る上で、忘れてはならないのが音楽界に一石を投じた伝説の屋上ロックイベント『天神開放地帯』です。1985年〜90年代にかけて『天神VIVRE』の屋上で、福岡のトップクラスのアマチュアバンドのみが出演することができるロックイベントが行われたのです。
音楽で街を元気に。音楽を街中に。今、福岡で開催されている『MUSIC CITY TENJIN』や『中洲JAZZ』よりもずっと以前に、『天神ビブレ』では自由な発想で純粋に音楽を楽しむ屋外イベントが開催されていました。

音の良さに定評があった『ビブレホール』

楽屋

舞台袖

●38年間の夢が詰まった場所
ステージの両側を挟む大きなスピーカーや楽屋、舞台は38年前のまま現在まで使われていました。楽屋からステージに向かう廊下には、『ビブレホール』に立った有名無名のアーティストのサインが所狭しと書かれていたそうです。楽屋の天井にはその時の名残が少し残っていました。
「“いつか『ビブレホール』を観客でいっぱいにしてやる”そんな言葉をよくアーティストから聞きました。たくさんの夢や数え切れない挫折を見続けてきた場所ですね」と中野さん。

最後はお笑い芸人の登竜門として
長年、アーティストの憧れの場所だった『ビブレホール』は、2018年9月より福岡吉本の常設劇場「よしもと天神ビブレホール」として運営をされていました。最後は福岡吉本に所属する芸人さんたちの登竜門として、38年間の役目を終えました。

※「よしもと天神ビブレホール」は閉館後、3月1日より場所を大名に移しオープン予定です。
スケジュール等の詳細はHPをチェックしてください。

《大名MKホール》
福岡市中央区大名1-3-40 オリエンタルHMKビルB1F
http://www.yoshimoto.co.jp/daimyo-mk/

●清水義孝さんプロフィール
シティ情報ふくおか 元音楽担当
現在フリーライター、編集者として活躍中

 

 

●中野泰孝さんプロフィール
チケットぴあ九州株式会社 専務取締役
1984年 シティ情報ふくおか入社
入社2年目に音楽担当に

●44年間ありがとう!天神ビブレ!
『天神VIVRE』が44年間担ってきたのは、天神の真ん中で時代の変化や多様性を受け入れながら、若者のカルチャーを発信し続ける発信源という役割だったように思います。

今では、スマホや携帯など年齢や性別を問わず手のひらで情報を得ることができるようになり「ここにしかないもの」に出逢えることも少なくなりました。

世の中の仕組みが大きく変化する中で『天神VIVRE』も次の時代にバトンを渡します。
新しいドラマが生まれるまち、天神へ。

ビブレ、”ラストスパート”で撮影した「動画」を下記からご覧いただけます!天神のど真ん中で44年間、まちの賑わいを支えてくれた天神ビブレの姿を、あなたの記憶に残しておいてください★

サヨナラ!天神ビブレ!ありがとう!天神ビブレ!
そのバトンは『天神ビッグバン』が受け継ぎます!

「2/11(祝)、ありがとう!ビブレ!「天神ビブレ」が残した軌跡」の記事はこちら>>

 

 

ページTOPへ