先日、お伝えした福ビル街区建替プロジェクトの“定礎”。定礎石を取り出す作業を撮影することは叶わなかったが、後日撮影を許可してもらいタイムカプセルの中を取材させてもらうことに!
※定礎についてはこの記事をチェック!
渡辺通りに面した南側の入口付近にあった天神コアの定礎石。この位置から44年もの間、天神を見守っていた。
天神コアの定礎石から出てきたのは、毛筆で書かれた定礎の辞。2006年のリニューアルで、取り出されビニール袋に包み再び保管されたそう。カビが付着しているけど、文字もしっかり読めるほどキレイで保存状態は良好。
下部分が破けてはいたものの、当時の西鉄 取締役社長 吉本弘次氏を筆頭に、設計管理者、工事請負者が決意表明している定礎の辞。永世不朽と書かれているように、長年にわたり天神の中心に天神コアは存在した。ヒト・モノ・コトが交差する拠点となり、天神の礎になるような大きな役割を全うしたと思う。
天神コアの姿はもう見られないが、「こんなビルがあったよ」と後世に伝えていきたい。
明治通りに面した入口の左下にあった福ビルの定礎石。
この頑丈な鉄のような塊が福ビルの定礎石の中身。一体どんな過酷な状況にあったのか……。老朽化して所々に穴が空き変形している。
定礎箱には金属プレート、新聞、古い硬貨。全体的に錆とカビが付着し朽ちている。色褪せた新聞は脆くなっていたので取り扱いに注意が必要だった。
天神コアとは違って、こちらは金属製プレートに彫られた定礎の書。大きさはiPadくらいのサイズ。
人類初の宇宙飛行をしたガガーリンが「地球は青かった」と明言を残した、翌日の昭和36年4月13日の朝日新聞。福ビルが竣工したのはこんな印象的な年だったのだ。
●昭和36年はこんな1年(朝日新聞より)
http://www.asahi.com/information/db/anotoki/2009_0131.html
ほかにも各紙が入っていたが、長年の保管で印刷物がくっついる。全て確認できなかったのが残念。
建築幕に覆われちょっぴり哀愁が漂っている天神。だけど、どんな時も天神は「ヒト・コト・モノ」の交流する特別な場所。100年に1度といわれる大変革で新たな空間と雇用が生まれる。先日もジャパネットホールディングスが東京の拠点機能の一部を天神に移すと発表した。コロナ禍で人影がまばらになった時もあったが、今後は明るいニュースであふれていくだろう。
高層ビルへの建て替えでまちの風景は変わる。私たちの暮らしも豊かになるのだ。
2020年11月23日 18:00